自分を知る最良の方法。



自分を知るとは、自分の意識がどう動いているかを知る事である,と言ってもいい、そしてそれをコントロール出来れば、100%の自分で居られるようになれる。
 

まず、自分の意識とはなんであるか?それは自分の「今」そのものである、と言っていい、「今」と言うこの瞬間に自分が思う事、それが「今」の意識だ。
 
それは「今」の自分の世界をいかに動かしているかを決めている。

人は何もしていなくても、意識だけは動き続け、何かを思い続ける。
まったく何も考えずに、ボーッとしていても長続きはしない、よほどの修行や鍛錬を積んだ経験がないと「無」で居る事は非常に難しいものだ、すぐに様々な事が浮かんで来て、思考が始まる。

すなわち経験も修行もしていない一般的な人生を送って来た人が、自分の「今」の意識をコントロールする事は非常に難しい事なのである。

「自分を知る」の章でも書いたが、人は「何もしない」事ほど苦痛な事はない、そして、何もしていなくても何かを「思う」事は止められないのだ。
 

そこで、それを逆に利用して意識をコントロールする事を学んで行くのが、これから伝える最良の方法なのだ。

それはどんな方法か・・・答えを先に言ってしまえば、それは「芸術」に取り組む事なのだ、もちろん芸術と言っても幅は広いので、いわば純粋な創作活動全般の事だ、それは自分の「思い通りのもの」を生み出す作業だと思えばいい。


この創作活動に自分を知るためのどんな効果があるかを説明しよう。

たとえば絵を描くとしよう。
その場合、どんな絵を描き出すかは、誰でも事前にイメージするだろう、それはどんなに抽象的な絵でも同じだ。

この最初にイメージした絵を、まずは脳内のビジョンとして見る事から始まる、それは外側に作り出すものを、まずは内側に構築するという行為なのだ。

このビジョンがはっきりしているほど、現実に描く作業は楽になる、もちろん絵だけではなく、あらゆる創作活動においてすべてこの原理は働く、すなわち外側は内側の発想の現実化なのだ。

陶芸であれガラスであれ、もっと言えばプラモデルや料理でも同じだ。
元々、自分の内側にはっきりと完成したビジョンがあれば、それを作り出して行く時に迷いが無く、純粋に取り組める。

この作業を繰り返して行くと、自分の意識、思いをはっきりと固定出来るようになってくる、これが意識をコントロールする最良の訓練法なのだ。

 

こう書くと、簡単なように思えるが、誰でも現実にやってみると思うようにはなかなかうまく行かないものだ。

実はこの思い通りのビジョンをはっきりと固定させるのは、非常に難しい事なのだ、なぜなら思考はどんどん変化してしまい、最初に思ったものからどんどんブレて行く。

逆に言えば、この最初のビジョン、イメージをきちんと決定する技術こそが意識をコントロールする事に他ならないのである。

 

よく成功法則とか引き寄せの法則とかがもてはやされるが、まったく同じ原理の事を言っているだけである、ある意味、思った通りの成功を手にする人は「人生の芸術家」でもある、と言ってもいいのだ。

すなわち「人生」と言う絵を思い通りに描く事が出来る人はそれを現実化するのに迷いがない、これはまさに芸術であり創作活動なのである、それはその人がはっきりと自分の内側を知っている、と言う事でもあり、それをコントロールする能力に長けていると言っていい。

 

しかし、誰もがそんなにうまく行くわけではない、なぜかと言うと成功や引き寄せには「欲望」がつきまとうからだ。

すなわち描くビジョンが純粋でなく、欲という歪みがそこに入ると、それは自分の価値観ではなく、世俗的な価値観に左右されてしまう、すると自分の純粋な思い、意識を見失ってしまうのだ、世俗的な価値観とは外側の自分にまとわりつく影響の事である、それは金銭の価値であったり名誉とか出世欲とかも含まれる。

そういう意味で、このコントロール法は芸術などの純粋な創作活動の方が解りやすいのだ、もちろん「高く売ろう」とか「有名になりたい」と言った欲望は成功や引き寄せと変わりないので、ここで言う芸術、創作活動は純粋に自分の価値観を追求する、と言う意味である、ここでは成功法則や引き寄せの方法を伝えているのではないので、それはまた別の機会に書くとする。
 

自分が「美しい」と思うもの、自分が「最高だ!」と思えるようなものを完全な自己中心でイメージし、ビジョンとして固定する事が芸術活動と一般的な「仕事」との違いだ。

誰かに見せて喜んでもらおう!びっくりさせよう!などと思う前にまず自分が喜ぶかどうか、自分が満足出来るか、をしっかりと決めてほしい、外側の価値観を基準にせず、あくまで自分の内側の価値観に従って決めて行く事が重要だ。


それは自分が思い描いた作品を思い通りに完成させる事をひたすらに追求していく作業だ、それが芸術であり、ここで言う創作活動だということだ。

 

しかし、いくらビジョンをしっかりと固めても、なかなか技術が追いついていかないのも現実だ、これが「意識をコントロールして現実化して行く」と言う難しさでもある。

ただビジョンがしっかりしていると言う事は、はっきりと目標を持って技術を磨いて行く、と言う事にもなるので、上達も非常に早くなるのだ。

だから「最初に技術ありき」ではなく、「最初にビジョンありき」がこの方法の一番重要なポイントとなる。

ここを間違えないで欲しい「最初に技術ありき」で始めると「出来る範囲」でビジョンを浮かべてしまう、もちろんそれでもいいのだが、それでは「やれる事をやっていなかっただけ」なのかもしれないし、まだ見ぬ未知なる自分を知る事にはつながらない。


ただ単に技術だけで言えば、自動車の運転などほとんどの人は教習所に入るまではやった事もないのに、「早く車に乗りたい」「あのかっこいい車でドライブしたい」「車を運転出来れば仕事もうまく行く」と誰でも目的に向かって学ぶので、いつの間にかスイスイと運転出来るようになってしまうものだ、すなわちまだ見ぬ未知なる自分に向かって行く事になる。

しかし、そういう世俗的な目的は誰でも頑張るが、純粋な自分の価値観、美意識を満たすための技術と言うと、けっこうあきらめてしまう、なぜだろう・・・それは「純粋な目的」を持ち続ける意識のコントロールが難しいからなのだ。

そしてそれが世俗的な価値観とは違って、必要性や切迫した目的意識につながらないとなおさら自分を甘やかす傾向が強くなる、無駄な努力として「やらなくても良いこと」だと思い込んでしまいがちになる。


すなわち「自分を知ろう」とする行為は、ある意味「面倒」だし、しなくても生活には支障がない、だからそれはいつも後回しにされるのだ、まったく無意味だと思っている人もけっこう多いものだ、しかしこの一見「無価値」のような創造の遊びは自分を知り、見つけるためには非常に重要な入り口なのだと理解してほしい。


ここで、ピカソの言葉を紹介しよう。
 
『私はいつも自分のできないことをしている。そうすればできるようになるからだ。』

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長くなったが、重要な事は一見「無価値」のような遊びとも思える創造活動が、実はまだ見ぬ未知の自分にたどり着いて行く「近道」だと言う事だ。

そして最初のビジョンをいかに「純粋に、はっきりと、ブレずに」描くかと言う事がこの方法の一番のポイントになる、そしてそれは世俗的な影響に捕らわれず、いかに自分を満足させるか・・・と言う「自己中心的世界」であっていいのだ。

これこそが意識をコントロールする最良の訓練法であり、まだ見ぬ本当の自分を知る最短の道でもある。

自分は何を「美しいと思う」のか、自分は「何を欲している」のか、がこれを始めるとだんだんとはっきりとしてくる。

好きな色、好きな画面、好きなバランス、その捉え方や切り取り方、こういったものは自分にしか解らない領域だ。

その自分の内側にある領域を旅する、それが芸術であり「自分そのもの」の発見にもつながるのだ。

すべての人は芸術家であり、創造主である。

絵を描くのもいい、人生そのものを創造するのもいい、別に芸術家にならなくてもいい、それは自分の内部に居る本当の自分に出会いに行く旅なのだ。

自分の内側への旅は「創造」から始まる、それは「世俗的に無意味」な行為であっていい、認められたい!褒められたい!と言う世間的な価値観や、欲望や義務感に捕らわれずに、世俗的な価値観から解放された自分だけの「創造空間」を作り出して行く事が、自分の内側への旅なのだ、それは世間的な「成績」とは関係無い旅だ、そこが成功法則や引き寄せとは違うと理解してほしい。

「外側は内側の反映である」・・・すなわち内側をコントロールする事が人生を思い通りに生きる技術となる、それを学ぶには芸術活動が最良の道だ、そしてまた、それが「自分を知る」最短の道ともなるのである。


もうひとつ、ピカソの言葉を。

『子供は誰でも芸術家だ。問題は、大人になっても芸術家でいられるかどうかだ。』

 

そう、誰でも子供の頃は自分を知っていたのだ、それは大人になって解らなくなっただけなのだ。
 
そして彼はこう言った。


『ようやく子どものような絵が、描けるようになった。 ここまで来るのに、ずいぶん時間がかかったものだ。』




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