過去と・・「今」

ここのところ何かと「過去」を思い出させるような事が多かった。
 

そして過去を語らざる得ないような事も多く起きた、そういう日々を迎えて気づいた事がある。
 

ひとつは「過去を語る」とびっくりするぐらいに、今の自分とは違う「タイムライン」に生きていた事が解るのだ!
 

まるで違う・・・別世界に来たのか?それとも別世界に居たのか? まあどっちでもいい、とにかくそれは今の僕とはまるで「別人」の生きていた世界なのだ。
 

自分の過去なのに、まるで別人の過去を見ているような不思議な感覚がある、だから語っていても実に「軽い」のだ。
 

そして、もうひとつ面白い事に気づいた。

 
過去に執着している人は「過去を語らない」と言う傾向がある事に気づいたのだ、それは何人かの人を思い浮かべたらすぐに解った、変化を自覚している人は過去を普通に語る、しかし変化しない人ほど過去を語らない傾向が強いのだ。
 

過去に決別しないで、今につながっていると信じていると、過去を赤裸々に語る事が出来なくなる、それはまるで重い鎧に身を包んでそれを脱ぐ事を恐れているようにも見える。
 

僕は過去を語る事に重さを感じない、どうせ正確には伝わらないし、どう思われても、今は関係無いからだ。

 

とにかく、どんな過去があるにせよ、それを軽く語れるようになれば、今に生きる事が非常に楽になる、隠せば隠すほどそれは執着を生む。


     
今居る自分は「過去」が作って来た自分でもある、しかしまた「過去」から学び、生まれ変わった自分でもあるのだ、そのどちらを生きても自分である。
 


 


過去をまるで冒険映画でも見ていたような感覚で語る、それはもう終わってしまった映画で、自分はもうその続きの中には居ない。
 

過去に執着があると「過去を語れない」。
過去への執着が消えると「平気で語れる」ようになる・・・

 
時間軸の捉え方、そして「今」の自分への理解。
過去を幻想として古い教科書を見直すように見てみる、そこには確実に原因と結果、すなわちカルマの法則があることに気づくはずだ。
 

そして人は初めて「今」の自分を知る。
それは「今しかない」と言う明確な事実を知る事でもある。
 

すなわち、過去とは自分を作って来たものでは無く、学んで来た足跡でしかない、どんな失敗があっても、どんなに恥ずかしい過去があっても、それはもうどこにも無く、ただそこから何を学んだか・・・が「今」なのだ。
 

自分の過去を、まるで他人のように軽く語ってみるといい。
そうすると実に明快に「今」の自分が見えてくる。
過去を語りたくない自分が居れば、それはまだ過去に執着が残っていると思った方がいい。
 

コーヒーカップを空にする、それはコーヒーを捨てる事ではなく、飲み干してしまうことだ、そしてその味を出来るだけ客観的に評価し、学ぶ事だ。
 

そのステップが終われば、新しいコーヒー(未来)がやって来る!
さあ、あなたが飲み干したコーヒーはどんな味でしたかな?

                    
@0430036413775785267

(この頃はデニーズもドリンクバーなんだよね・・w)

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